〜技術革新が塗り替える成長速度と市場〜
日米欧で熾烈化するナノテク開発競争


ITやバイオと並び、ナノテクノロジーの進展に世界の熱い関心が集まっている。ナノテクは今後のハイテク産業発展の共通基盤を提供するものとみられるからだ。日米欧の競争も熾烈化している。ナノテクでは日本が先行しているといわれているが、そうした比較優位を維持できるのか、これからの十年を、後に"失われた十年"として回顧するような事態に至らないための戦略的な対応が今求められている。
 
鞄本アプライドリサーチ研究所 研究主幹 松田保孝




[視点]

★ナノテク関連市場の予測は技術革新スピードが急速で絶えず更新されるが、二〇〇一年以前に数十兆円規模になる可能性を秘めている。
★米国はナノテク分野での競争力向上を国家戦略として打ち出した。日本のレベルについての国際的評価は高いが、MPUの先例のように瞬く間に追い抜かされる危惧がある。
★競争力維持・向上には、研究開発テーマ・主体・使途別のデータを整備したり、より競争的資金比率を高める、民間委託を進める、大胆な人材抜擢を行うなどの対策が必要だ。

二〇兆円規模の「大量生産時代」は二〇一〇年以前にも

分子マシンの研究の最先端ベンチャー企業であるザイベックス社(本社アメリカ・ダラス、設立九七年)。同社は、マルチメディアソフトのアルトシスなどいくつものベンチャー企業を育てた投資家のジム・ボン・アール氏が起業を手がけたことでも有名だが、今後のナノテク研究開発や市場は5段階の成長をたどると予測している。(図−1)まずその概略に触れてみよう。



第一段階「正確なナノ構造物の制御」は、原子一〇〇個以下のスケールを制御し、CAD/CAMを駆使して、従来の工場ラインや、MEMS(超精密エレクトロニクス組み立て装置)を通じて行われる。その年間市場規模は、五百万〜五千万ドル程度。

第二段階「ナノ構造物の生産」では、ナノ構造物やナノ複合材料の生産が実用化する。この中には、有機炭酸カルシウム(アワビの貝殻)からつくられる有機ナノ材料があり、その強度は無機単結晶材料の三千倍というものも含まれる。この段階での市場規模は、五十億〜二百億ドルに達する。
 
第三段階「複雑な構造物の大量生産」では、高度なCAD/CAM、オブジェクトデザイン、シミュレーション、パッケージングでの進歩を要するが、大量生産に入る時代である。市場規模は、百億〜二千億ドルにのぼる。
第四段階「ナノコンピュータの実現」に至る道筋は二つ考えられている。一つは、分子機械工学が急速に展開する場合で、生物が細胞や臓器を自動的につくるように、分子・原子が自己組織化のメカニズムで現在のシリコンエレクトロニクス材料から望む複製物を生産できるようになる。もう一つは、莫大な労力と投資をかけて相変わらずこれまでの延長線上でコンピュータ設計を行っている可能性である。いずれにせよ、この段階の市場規模は、二千億〜一兆ドルに達するという。(なお、第五段階「動力源とプログラミングの自律化した素子・装置」では、市場規模は六兆ドルにも達すると見ている)

ザイベックス社は、実現のタイムフレーム(時期)は、不確実性が大きいとして示していない。因みに、欧州委員会の情報社会技術プログラム報告書「ナノエレクトロニクス分野の技術ロードマップ」(二〇〇一年版)では、MPUのロード長が三十nmレベルに達するのは二〇一一年としている。しかし、昨年十二月インテルは二〇〇五年までにMPUのゲート長三〇nmを量産化する計画であると発表した。

また、つい先頃とりまとめられた「ナノテクノロジーの戦略的推進に関する懇談会報告書」の検討過程におけるあるハイテク企業の発言では、「ムーアの法則」(十八ヶ月で素子の集積度や性能が二倍になる、つまり三年で四倍になるという半導体業界の経験則)は二〇一三年頃までは持続すると見込みだという。
これらを勘案すると、二〇一〇年以前に、すでに先述した「第三段階」に到達し「量子効果の壁」を超えた技術が実用化される可能性があることになる。

「経済、生活、国家防衛に不可欠」とする米国

 米国は、ナノテクを「第二の産業革命」と位置づけ、「戦略的なナノテク研究開発計画なしには達成が不可能であるという共通認識がある」とし、「将来におよぶ経済的なタフネス、快適な生活、および米国の国家防衛がかかっている」がゆえに、これを強力に推進すると明言している。
日米欧のナノテク分野での競争力は、現時点では、合成、化学、バイオ分野で、米国では米国がリードしているが、製造装置、機器開発、超精密工学、ナノ構造研究では日本がリード。EUは、分散、コーティング、先端機器で強みを発揮、(米国科学技術評議会・技術委員会による)とされている。ナノテクを二十一世紀のキーテクノロジーと判断した米国は、ITやバイオでの圧倒的優位に甘んじることなく、次の戦略的な手を打ってきたといえる。
 これに対して日本でも、経団連の提言や先にあげた懇談会報告を受けて、来年度予算では米国に匹敵する規模のナノテク関連予算を計上するなど、素早い対応が見られた。

日本の競争力はトップクラスだが

 そこで、ナノテクなど先端分野の日米欧の研究開発力をいくつかの指標から比較考察してみる。まず、ナノテクへの国の研究開発投資額(図−2)については、日米が抜きんでていることがわかる。ただし、英独仏は二〇〇〇年度であり、同年度の日本の額は不明、米国は三百二十四億円であった。なお、EU加盟国すべてを足し合わせた額は、二百二億円である。


 また、研究開発投資の対GDP比率で、各国の研究開発取り組みへの積極度を見ると(図−3)、スウェーデン、日本、韓国、米国、ドイツ、イスラエルなどでその水準が高い。八五年との比較では、韓国、シンガポール、スウェーデン、オーストラリア、アイルランドなどでその伸びが大きいことがわかる。



研究開発投資が中長期的に国の産業競争力を左右することは、おおかたの見方が一致していると思われるが、「未来への扉を開く」と題された米国国家科学技術政策報告書(九八年)は、「米国の発展は過去五十年にわたる基礎研究への戦略的・継続的投資の結果である」と断じ、今後もリーダとして君臨していくためには、それを続ける必要であることを強調した。(これが、NII=国家ナノテク・イニシアティブ)につながることになる。)
 国際競争力会議の最近のレポートは、技術革新を担う主な国々を、トップ勢力層、第二次勢力層、新興勢力層とにレイティングしている。トップ勢力層としては、米国、日本とともに、スイス、フィンランド、スウェーデン、デンマーク、ドイツなどがあげられている。(表−1)

テーマ別研究開発費の把握で効率向上

 このように国際的には、日本のナノテクや研究開発力は高い評価が与えられているといえるが、今後中長期にそれを維持し続けるには、解決すべき課題も少なくない。以下それへの対処の方向性をまとめ、提案する。
@テーマ別研究開発費の明示化:トータルでどのような研究テーマ・研究主体・使途に、どのくらい投資されているかが、現状ではきちんと把握されていない。投資効率を上げ、重点的な配分を行うには、こうした基本的なデータの整備が不可欠である。コンペ方式などを導入し、競争的資金の比率(日本は一割以下、英米では三〜四割といわれる)を増大させることと、併せ実施すべきである。
A大胆な人材評価・抜擢を:研究者・技術者の育成必要がつと叫ばれるが、これには一般解は存在しない。しかし、青色レーザを独力で開発した研究者がUCLAに昨年流出したが、その過程で図らずも露呈したのは、子飼い研究者重視という国内の大学の閉鎖的体質や、社会からの評価を嫌う体質である。これを打破し、有為な人材を育成するきっかけは、何より組織のヘッドが大胆な抜擢人事を通じて、実力ある研究者に対して相応の評価・待遇を与えることである。
B継続的な政府研究開発投資を:景気回復が遅滞している中、民間の研究開発はより短期的成果を求めざるを得ず、また総額が減少している。一方、国の財政も逼迫しており、研究開発においてもより効率的な執行が要求されると考えられる。しかし、新たな科学技術計画基本計画の実施においては、短期的な財政事情にのみ左右されることなく、ナノテクなど長期的な波及効果が高く、共通基盤的な貢献を果たすものへの重点配分、とりわけ民間研究への委託などを怠るべきではない。
Cさまざまなセクターの連携と交流を:ナノテク研究やその実用化商品の開発促進には、工学系のみならず、異なる専門分野を持ち、異なる部門に属する人々の知識やノウハウ、資金の組み合わせが、効果を発揮すると考えられる。したがって、たとえば、異業種交流などにおいても、従来の慣例化した交流枠に縛られないような連携を模索すべきであろう。また、行政はこうした試みを積極的に支援していくことが期待される。


(本稿は、2001年4月4日の日本工業新聞・シンクタンクの目に掲載稿を加筆修正したものです。)


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